時間が鍵を握ると思いました
実はわが子は三年前、
本校の入学式に参加していません…、転校生なので。
が、僅か一年(にも満たない)だけ、「他校」の生徒でした----。
悔しい出来事がありましてね。
あんな時、最終的に救うのは親しかいないと思いました。
察知した私の決断は早かったです。
世間で起こる「それ」は
香檳、多くはその「時間」への認識の甘さからです。
取り返しのつかない出来事が起こってしまう要因は、すべてある意味「他人任せ」からくるものでしょう。
学校(前校)に対応を丸投げするだけではダメなのです。
こちらがどうするのか?その腹をくくることが大事なのです。
私は妻から、ある日の出来事を聞きました。
私が職場から帰る前でしたので、妻からの話です。
帰宅した娘の様子がおかしいので、察知した妻が「何かあったの?」と。
しばしの沈黙のあと
reenex 膠原自生、堰をきったように号泣した---と。
これら妻からの話も併せ、
娘から「これからどうしたいのか」という望みを聞き、
どの道がいちばんそれに近いのかを考えました。
その上で、こう言いました。
『“明日”はきっといい日になる』
『だから、きっと解決させる。』・・・と。
(大阪弁ですから、「明日は絶対にエエ日になるんや。」ですね)
これは、今、最高に充実した三年間の学校生活をおくった娘の、
そこにいたるまでの「軌跡」です。
私は受け入れ先探しに奔走しました。
せっかく合格して入った学校なんですがね。
お金もかかっています。
でも、そんなことはどうでもいいんです。
現実にあの時、我が子の「危機」でした。
これは逃げではありません。
いや、逃げていいのです。
『そんな逃げ癖がついたら、将来…』
こんなアホなきれい事を偉そうに言う人もいるようです。
ええ、どうぞ。あなたはそれで結構です。
ご高説は要りません。
これはある意味、現実に今起こっている「危機」なんです。
私の決断です。
まだまだ親の庇護がなければ・・・、
いえ、親が責任を果たさなければなりません。
決断を誤れば取り返しのつかない事態すらありえなくもありません。
庇護が必要な時期は、親の瞬時の決断、腹のくくりが大事だと私は思います。
『何の心配もない状況に戻せますか?』
『自信がなければハッキリ言ってください。』
私が前校に求めたのは即断即応と、確実な結果への学校としての腹のくくりです。
怒鳴りつけていません。抗議でもありません。
ただただ、対応(結果)への覚悟です。
自信がなければそれまで。それだけです。
その「自信」が感じられなかったので、私は即断しました。
転校させよう、って。
---ええ、たった二年半前 の話です。
今だから言えるんですけどね、こういった話。
そんなふうに見えなかったでしょ?(笑)